更新日:2022/02/02 07:30
武蔵野社員の奮闘記
入社面接をすっぽかされた!?
クリーン・リフレ事業部ブロック長 櫻井学
今回からはクリーン・リフレ事業部の櫻井がお届けします。
はじめまして、2010年入社の櫻井です。
私は失敗してばかりで、会社をいつクビになってもおかしくないダメ社員でした。
しかし、ありがたいことに今年で12年目を迎えます。
この会社では、どんなにひどい失敗をした社員も、しっかり反省して頑張れば、いつかチャンスをもらえます。
そのことをお伝えするために、今回から4回に渡って私の恥の多い人生を振り返ってみたいと思います!
(といっても初回の今回は失敗談ではありません!)
私はもともとミュージシャン志望で、学校を出た後は、ロックバンドを組んで音楽活動をしていました。
いまならYoutubeなどに投稿してみんなに知ってもらうのかもしれませんが、当時はまだCDの時代です。
私たちも自主制作でCDをつくって、いつかメジャーデビューすることを夢見ていました。
ところがCDを出してすぐ、お付き合いしていた女性が妊娠します。
当時、私は25歳で、荻窪のイベント会社で正社員として働いていました。
何と小山の自宅から数分です。
会社は音楽活動に理解があってありがたかったのですが、いかんせん給料は安かった。
子どもが生まれることを考えると、もう少し稼がねばなりません。
男のけじめとして、ミュージシャンの夢はあきらめて、彼女と結婚して転職することにしました。
求人誌を見て応募したのが武蔵野でした。
応募の理由は二つです。まず、ダスキンの本社と勘違いしたこと。
もう一つは、月給28万円と書いてあったこと。
「大企業で、月28万円もらえる!」と思い込んで、すぐに電話をかけました。
面接に行って驚いたことが二つあります。
まず、本社が3階建てで、意外に地味だったこと。
環境整備でピカピカになっているのですが、建物自体は古いものだと一目でわかります。
私は高層ビルをイメージしていたので「大企業でもこんなものなのか」と拍子抜けしました。
さらに驚いたのは、なぜか面接のアポが入ってなかったことです。
入口で用件を告げると、3階の総務室の裏にある給湯室に通されました。
そこで待つこと1時間。完全に忘れられているようで、誰も呼びに来ませんでした(笑)
そのうち誰か不審に思ったのか、「何の御用件ですか」と声をかけてくれました。
事情を説明すると、20分くらいしてコワモテの人がやってきました。
当時、小金井支店の部長だった飛山です。
私が電話したのは本社でしたが、おそらく担当者が不在で、すぐ近くにある小金井支店の飛山が呼ばれたのでしょう。
飛山は会社と仕事内容について簡単に説明してくれました。
武蔵野はダスキンのフランチャイズだと聞いて、本社のこじんまりした様子に合点がいきました。
大企業であることに越したことはありませんが、それにこだわっていたわけでもありません。
私は生まれてくる子どものために、とにかく早く働きたかった。
「明日から来れるか」という飛山の問いに間髪入れずに「はい」と返答。
契約社員として、小金井支店の家庭用で働き始めました。
入社後、あてが外れたことが一つありました。お給料です。
求人広告には月28万円と書いてありましたが、基本給の部分は20万円に満たず、コミッションで稼がないと28万円には届きません。
新人が最初からコミッションで稼ぐことは難しく、正直、「騙された」と思いました(笑)。
それでも辞めなかったのは、実は腰掛けのつもりで武蔵野に入社したからです。
当時の妻(3回目にお話ししますが、のちに離婚)の父、そして妻の妹の夫は、消防士でした。
身内に消防士がいたせいか、妻は私にも「消防士か警察官になってほしい」と望んでいました。
その期待に応えて私も試験を受けるつもりでいました。
半分は試験までのつなぎのつもりだったので、給料が低くても気にならなかったのです。
結果はどうだったのか?
いま武蔵野で働いていることからわかるように、試験は失敗です。
警察官のほうは最終まで行き、もう一回チャレンジしたら合格できそうな手ごたえがありました。
ただ、そのころにはもう会社の居心地が良くなっていました。
半年経ってコミッションを稼げるようになっていたこともあり、再受験しませんでした。
おかげさまでいま武蔵野で充実した毎日を送っていますから、もしあのころに戻れたとしても、また同じ判断をするでしょうね。
次回は“競合の営業車を覗いてみると……”
次回もお楽しみに!
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