更新日:2022/04/06 07:30
武蔵野社員の奮闘記
本当なら降格するはずが……
社長のサポート事業部部長 玉井賢司
今回からは社長のサポート事業部の玉井がお届けします。
ご無沙汰しています。このコーナーは久しぶりの登場です。
前回お読みでない方もいらっしゃると思いますので、まずは簡単に自己紹介させてください。
私は03年入社組です。最初に配属されたのはホームサービスの第二支店でした。
たいして活躍ができないまま、2年目にスプラッシュウォーター事業部、3年目にホームサービスの営業部に異動になります。
私は移動中の車内でラジオ番組を流して、仕事そっちのけで番組に投稿するネタを考えているようなダメ社員。
どちらの部署でも結果が出せずに、低空飛行が続きました。
ようやく浮上できたのは、小金井支店に異動してからです。
最初はキャンペーンでも最下位かブービーという悲惨な成績でした。
しかし、飛山が店長になって数字へのこだわりを叩きこまれ、キャンペーンではじめて5位に。
さらにその後に店長になった市倉の指導にも助けられました。。
私の担当エリアはやや遠かったのですが、市倉は用事がない限り営業同行してくれて、とうとうキャペーン1位になりました。
優れた上司に引っ張られて、ダメ社員が5年かけてようやく花開きました。
ここまでが前回お話した内容です。
キャンペーン優勝で評価もあがり、私は2.5グループに昇格しました。
それを機にハーティー部門に異動して責任者になりました。
たしかリーマンショックの後の2009年だったと思います。
実はここでは大苦戦しました。
一般家庭用の外交員であるハーティーさんは全員女性で、その多くが主婦です。
ハーティー部門の責任者は、自分より一回りも二回りも年上のハーティーさんとのコミュニケーションで苦労します。
実際、私もその点では相当気を遣いました。
ただ、私の場合はそれ以前の問題が大きかった。
売上や経費などマネジャーとして管理すべき数字に神経が回らずに、ほぼ人任せだったのです。
当時、ハーティー部門は本社の1階にあり、責任者はそこで数値管理の仕事をする必要がありました。
一方、40~50人いるハーティーさんは現場に直行直帰。オフィスにくることはほぼなく、地域ごとにグループに分かれて定期的にミーティングを行う程度です。
私は数値管理が苦手だったので、オフィスを抜けて、ハーティーさんのミーティングに顔を出していました。
もちろんハーティーさんの関係づくりは大切ですが、本音を言えば、数値管理から逃げるために現場に足を運んでいたようなものです。
現場にいってハーティーさんの営業同行も熱心にやっていたので、ハーティーさん一人ひとりの成績はあがりました。
しかし、全体を見て管理する発想がなかったので、数字が上がってこない地域を放置してしまい、部門としての業績は落ちていきました。
このときは更迭を覚悟していました。
私と同じ時期に2.5グループになった他部署の人たちも、結果を出せずに苦戦して、続々と降格していたからです。
しかし、ギリギリのところで幸運が舞い込みます。
私は数値管理が得意でなかったものの、営業同行してその人の成績を伸ばすことは得意でした。
その様子を見ていた上司の由井から、こんな指令がきました。
「ホームサービスで新商品が出た。時間があったら営業専任部隊にも同行してあげて」
指示通りに他部署の営業同行を始めたところ、その人も成績が上向き始めたのです。
それを見て、苦手なことを無理にやらせるより、得意分野でやらせたほうがいいと判断したのでしょう。
私はハーティー部門の責任者ではなく、部門付き「セールスインストラクター」に就任しました。
数値管理から解放されたことで、より同行に集中して指導力を発揮できるようになりました。
その結果、次の期にはA評価が取れて、3グループに。
マネジャー失格で更迭されるところでしたが、一芸に秀でていたおかげで、逆に昇進できたのです。
昇進を機に、私はダスキンホームサービス全体のセールスインストラクターになりました。
部下なし課長ですが、課長は課長です。
思わぬ展開になり、天にも昇る気持ちになったことを覚えています。
次回は“ランチェスター戦略で、おもしろいように契約が取れた”
次回もお楽しみに!
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